サガンが亡くなった由。良い読者とはとても言えないのだけど「一年ののち」
[amazon]は何度も読んだ。ものうい恋愛群像で虚無的だけどそのじつ純なとこ、こころにしみるんであった。あと回想記「私自身のための優しい回想」
[amazon]。とくにビリー・ホリディの章、ルドルフ・ヌレエフの章、カーソン・マッカラーズをいたわるテネシー・ウィリアムズとそのパートナーの章はすばらしく優しく哀しくうつくしい。サガンの感覚というのはいつもひどく透徹したとこがあってロマンチックにはほどとおい諦念がただよってる。「でもそれはそれ」的に刹那を生きていく様がロマネスクなんであります。
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オリオン・プレスに「悲しみよ、こんにちは」
[amazon]でデヴュしたころのサガンの写真が何枚かあった。短い髪やくりくり生き生きした瞳のキュートなアンファン・テリブルぶりが魅力的でコピーしてあったんだけど今日はみつからない。死亡記事に添えられた写真は小娘時代よりもはかなげだったなあ。それもサガンらしいのでありました。サガンの世界では娘たちは強く女たちははかない。18歳で書いた「悲しみよ、こんにちは」でさえ小悪魔セシルよりも父の恋人アンヌが可憐。そこがサガンの凄みっすね。