月兎社のモト
by calico3
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桑原弘明展 scope。
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ことしもクリスマス前の銀座にて、
「桑原弘明展 scope」
-覗いてみれば-掌中に納まる真鍮小箱の極小世界
ギャラリー椿[LINK]/2004年12月13日(月)~12月25日(土)
a.m.11:00~p.m.6:30(最終日5:00pm)

精緻な真鍮の小函に覗くためのレンズひとつと光をいれるためのレンズがふたつ。
どちらのレンズから光をいれるかによってふたつの光景…陽光に照らされた白昼と夜の暗がり、あるいは現在と朽ち果てた未来、あるいは…が覗き見られるという機巧函です。

まいとし行っちゃうのは、もちろん作品がすばらしいからだけど、一回的で排他的なところが他ではなかなかない経験だから。排他的というのは一回にひとりしか覗けないという物理的なことのほかに、ふたつの光景を閉じこめた函だけれどふたつの光景を同時に見ることができないという排他性があって、それがはかなくてもどかしくて得難い感じ。「ハイ、了解」と思えないところが魅力なんであります。桑原さんのおっしゃることには所有者になった人だけに明かされる第3の光景があり、また所有者にも明かされぬ第4の光景があるとかないとか。

何が創られているかじゃなくて、何に創られているかというアートのマテリアル面から出発した美術評論家がウー・ホンで、彼の「屏風のなかの壺中天」[amazon]を読んでいてナルホド!と思ったのが巻物(スクロール)というマテリアルが観者に強いる鑑賞体験の質を述べたところ。巻物の観方というのは左手でまきまき開きつつ右手でまきまき仕舞ってゆく…いつも自分の肩幅ぶんの絵だけが観ることができるっていうもんなんだよね。つまり巻物側が強いる時間の流れに従うことが強制されてるわけで、「えっと、このお姫さまさっき何持ってたっけ」とか思っちゃうと、またぐるぐるまきまき同じ時間をたどらなきゃいけないわけ。現代の美術館では巻物を切って張り合わせて一枚のフラットな絵画のように仕立てて展示しているところもおおいけれど、これは「巻物の専制力」をムシし、「勝手に一瞥了解」しようという傲慢な鑑賞態度であって、そんなヤカラにはその巻物の真実はあかされないであろう!とウー・ホン大人はおっしゃるのであった。うーん!桑原さんの真鍮小函もこうした作品側の「専制力」がきわめて強い現代では稀なる作品だなあと思うのであります。

もいっこ。なぜかシンクロしまくりのバルトルシャイティス「アベラシオン」[amazon]所収のエッセイ「庭園とイリュージョン風景」にまたもシンクロ物件が。こちらで述べられているのは17世紀の反射光函。三角形の小部屋が6つからなる六角形の小函。各部屋に覗き穴がついていて、台座にのせてくるくる廻すこともできたんだって。このからくり函におさめられた6つの風景にはじまって18世紀風景庭園のイリュージョニズムとシノワズリを展開する庭園論、鮮やかすぎる!
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by calico3 | 2004-12-19 13:27 | 本・映画・展覧会
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